美人でスタイルもいいと評判の金澤志奈。
学生時代に人生をかけ大きな決断をしています。
今回は、金澤志奈の学生時代を詳しくリサーチしました。
金澤志奈は中学時代に茨城県を代表するゴルファーになっていますが、どのような学生時代を送っていたのでしょうか?
金澤志奈の中学校は友部二中?
高校は岩瀬日大で大学は中央学院大学と言われていますが本当?
人生をかけた大きな決断とは何なのか、詳しく見ていきましょう。
金澤志奈の中学校は友部二中
金澤志奈の中学校は友部二中なのでしょうか?
茨城県笠間市出身。
金澤志奈の中学校は笠間市立友部第二中学校です。
略して、友部二中。
金澤志奈が中学3年の時にコーチが変わり、友達の紹介で金愛淑(キム・エイスク)コーチの所に教わりに行きます。
金愛淑コーチは、元は陸上競技の砲丸投げの選手でしたが、そのパワーを買われてゴルフに転向。
現在は、日本人の夫を持ち、ジュニアの育成に力を注いでいます。
写真中央が金愛淑コーチです。
今までのコーチは、スイングの形重視だったが、金コーチは「自分の体と感覚は、自分しか分からない」と言い、感覚と形を合わせていくことを重視。
金コーチは普段は優しいが時に厳しいコーチだったようです。
金澤志奈は中学3年から、金コーチの元で練習に励んだ結果、視野が広がりもっと向上していきたいと強く思うようになります。
金澤志奈は中学時代に全国ゴルフ選手権に出場。
その結果はこちら。
- 2008年 団体6位
- 2009年 団体3位
- 2010年 個人3位
茨城県を代表するゴルファーに成長を遂げました。
金澤志奈の高校は岩瀬日大
金澤志奈の中学は、友部二中でしたが、高校はどこなのでしょう。
調べたところ、茨城県桜川市にある岩瀬日本大学高等学校でした。
桜川市友部にある日本大学準附属の私立高校で、略して岩瀬日大と言われています。
金澤志奈の高校は岩瀬日大という噂は本当でしたね。
金澤志奈は中学でもゴルフをしていましたが、高校でもゴルフ部に入部しています。
岩瀬日大のゴルフ部は、2020年には部員がおらず、その後廃部。
同級生いわく、遠征先で置いていかれるほどのマイペースさだったようです。
金澤志奈本人も、自分は超マイペースで、買い物は基本1人で行くと語っています。
買いたいものを決めきれず、時間が掛かってしまうのだとか。
プレー中の真剣な眼差しと普段のおっとりさのギャップに驚きますね。
高校では、技術を磨くことに集中したそうで、2013年の茨城県ジュニアオープンゴルフ選手権高校女子の部で優勝しています。
この時、中学生女子の部では畑岡奈紗が優勝。
高3の進路を決める際、プロテストを受けようか迷い、金コーチに相談したところ、「いろいろな経験をすることも意味がある」と大学への進学を勧められます。
金澤志奈自信も、プロテストを受ける実力も自信もなかったので、進学を決意したとのこと。
高校卒業後にプロテストを受ける選手が多い中、大学への進学を決意。
周りに流されることなく、自分の考えをしっかりと持っていることが分かりますね。
おっとりマイペースな性格ですが、強い芯を持っています。
金澤志奈の大学は中央学院大学
金澤志奈の中学、高校と見てきましたが、大学も調べていきましょう。
金澤志奈の大学は中央学院大学です。
千葉県我孫子市にある私立大学。
大学にはゴルフ部の寮がなく、一人暮らし生活を送ることに。
実家からの仕送りには頼らず、キャディのアルバイトをしながら生活を送っていました。
大学付近に、いくつかのゴルフ場がありますが、成田市にある「レイクウッド総成カントリークラブ」でキャディのアルバイトをしていたようです。
後に、この縁からゴルフ場運営会社の「レイクウッドコーポレーション」の所属となっています。
クラブでの活動は週3日ほどで、授業に出ないと単位が取れないため、ゴルフにアルバイト、学業と多忙の日々を送っていたそう。
スポーツ系の学科は、遠征などを考慮して授業への出席を免除される大学もありますが、こちらの大学は免除制度はなかったのですね。
高校時代は、個人戦がメインでしたが、大学では団体戦も多く、チームプレーの楽しさを知ったそうです。
みんなで力を合わせて、周りの人のためにも頑張らないとという気持ちになれたとのこと。
結果、一打一打の集中力が増したようです。
トレーニング法や食事に対する考え方を学んだことで、体力面がアップし、ドライバーの飛距離が20ヤード伸びています。
20ヤードも伸びるのは凄いですね。
入学してすぐのリーグ戦では全て優勝し、団体戦は完全制覇を達成。
プロの試合ではない、チーム戦を経験できたことは、とても大きかったそう。
一人暮らしなど生活を含めた経験の全てが今に生かされているようですね。
大学で3年間学んだ後、中退しています。
理由は、プロテストを受けるため。
高校時代は見送りましたが、大学で実力かつ自信をつけ受験を決意したのですね。
前の年の日本学生大会で優勝した権利で、プロテストは1次、2次をパスしてファイナルからスタートしています。
一次、二次の雰囲気を味わえないままの始めてのテストですごく不安だったそうです。
さらには、黄金世代とも言われる選手たちもおり、注目が集まったプロテスト。
黄金世代の選手たち(五十音順)
- 新垣比菜
- 勝みなみ
- 小祝さくら
- 吉本ひかる
そんな中で、「自分は自分!」と思い、自分のプレーをしっかりしようと心がけてプレーしたと語っています。
その結果、通算5アンダーの9位タイで一発合格。
テストが終わった後は、すごい解放感だったそうです。
それだけ、このプロテストに賭けていたのでしょう。
大学を卒業したかった気持ちもあったからこそ、プロテストに向けての半年間は、死ぬ気で練習したと語っています。
遠回りのように思えるが、その道で得た数々の経験が自身の力や武器となったのですね。
結果、金澤志奈にとっては大学進学が一番良い選択肢だったのでしょう。
後に、大学への進学は遠回りではなく一直線だったと語っています。
金澤志奈の小学校は笠間市内?
金澤志奈の中学から大学までは分かりましたね。
では、最後に金澤志奈の小学校も調べていきましょう。
金澤志奈の中学校は、3つの小学校から生徒が集まります。
その内の一つ、笠間市内の友部町立北川根小学校に通っていました。
現在は、友部町立から笠間市立に変わっています。
父親の勧めで8歳からゴルフを始めますが、それまで、特にスポーツはしておらず興味もなかったそう。
最初は、父親のクラブで遊んでいるだけだったようですが、自らレッスンを受けたいと言い、すぐに通い出します。
始めた時は、親から「プロになれ」や「頑張れ」と言われていたが、その後、「自分の好きにやりなさい」と言われるようになり、伸び伸びとゴルフが出来たそうです。
5年生の時に、初めて出場した試合で大敗。
ショックを受け、その悔しさから、猛練習したのだとか。
おっとりした性格ですが、負けず嫌いな部分もあったのでしょうね。
負けた悔しさをバネに、その後、中学では大きく成長しています。
畑岡奈紗や星野陸也もまた、金澤志奈が育った笠間市出身です。
故郷のことを「ゴルフ場が多く、環境が整っている。」と話していることから、優秀なゴルファーが多く輩出されたのでしょう。
まとめ
金澤志奈の中学校は友部二中でした。
中学時代の金愛淑(キム・エイスク)コーチとの出会いが、金澤志奈を大きく成長させます。
高校は岩瀬日大で、技術を磨くことに集中。
結果、茨城県ジュニアオープンゴルフ選手権高校女子の部で優勝するなど、輝かしい成績を残します。
高校卒業後は、大学へ進学。
大学は中央学院大学に在籍していました。
大学への進学が、金澤志奈をプロにするための大きなキーポイントとなります。
体力や技術面がアップし、数々の大会で優勝を重ね、実力と自信がついたことを実感した後、プロテスト受験を決意。
大学を3年で中退し、半年間の猛練習の末、一発でプロテストに合格しました。
小学校は笠間市内にある、友部町立北川根小学校。
現在は笠間市立に変わっています。
ゴルフの始まりは、小学2年生の時。
それまで、どのスポーツにも全く興味がなかったのですが、父親の影響でゴルフに目覚めます。
人生の目標は賞金王になってアメリカに挑戦してみたいと語る金澤志奈。
今後の活躍も期待しています。